ホスピス旅日記’97 ⑥

アメリカでは7月4日の独立記念日の祭りが終わったところです。今、住んでいるのはシアトルの真ん中に位置するユニオン湖の淵にあるアパートで、その日、この湖で毎年恒例の花火大会が日本から職人を呼んで盛大に行われます。私も数人の友達を呼んで、夏の日の花火大会を楽しみました。

◆患者が教えてくれるということ◆
さて、ホスピスのナースやソーシャルワーカーに同行して患者さんを訪問していますが、それを通して私は実にたくさんの患者さんに出会います。
その中で気が付くことはスタッフから学ぶことも多いのですが、それよりももっと多くのことを患者さんたちが教えてくれているような気がします。
どうケアするかは「患者さんが教えてくれる」という言葉は、これまでもいろんな人の口を通して聞いたように思います。そしてその度にそうだろうな、それは真実だろうなと思ったものでした。
しかし今はなにか実感としてそれを感じることができます。患者さんは本当に人生そのものを垣間見せてくれるし、ホスピスとは何なのかを教えてくれるように思います。

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印象に残る患者さんはたくさんいますが、その中からおふたり程書いてみようと思います。
ひとりの方は(仮にその方の名をアンとしておきましょう)年は75歳、病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)。その日はナースの初回訪問の日でした。
アンは今老人ホームの個室に住んでいます。彼女は耳は聞こえるのですが、口がきけないため筆談でコミュニケーションを取ります。私たちが行くと彼女はベットに寝ていて、握手をしてあいさつをかわすと、起き上がって「着替える」と言いました(ジェスチャーで)。背中の骨はまがってしまっていて一見とても起き上がれそうになかったのですが、クローゼットから着替えをナースにとってもらうと自分で着替えをし、立ち上がってベットをつたいながら部屋に置いてあるソファーまで歩いて行きます。
私とナースは驚いて顔を見合わせながらうしろからついて行ったのですが、ソファーにたどりつき、やっこらと腰を落とすと「さあ、お座んなさい」とでも言うようににっこりと笑いながら、両手を拡げて私たちを招きました。その笑顔の美しいことにも、また驚いてしまいました。私には彼女のこの様子が、ここでも家の主人として客を迎えたいという気持ちの表れの様な気がしました。
初回の訪問なのでナースがひとつひとつ現在の状況について尋ねたり、ホスピスのケアについて説明していきました。そして「なにかホスピスのナースの私に望むことがありますか?」と尋ねたとき、筆談でノートに彼女はこう書きました。
「Understanding me as a person」
それは「一人の人間として私を理解してくれることです。」という意味です。私はノートにそう書いてあるのを見て、やはりびっくりしてしまいました。それは当たり前のことなんですが、そういうことをはっきり言えることが素晴らしいことだと思いました。

もうひとりの患者さん(仮にトムとしておきましよう)は65歳で肝臓癌。もうかなり死期が近く、チェーンストークス呼吸(死期が近づいた時に出る呼吸で数十秒間の無呼吸があるかと思うとその後、早くて浅い呼吸を数回から十数回行う。それを繰り返していく呼吸状態をいう)が現れており、昏睡と覚醒との間を漂っているという感じの人でした。そして時折、無意識の間から言葉を発するという具合でした。
ある時ナースが話しかけているとそれに答える訳ではなく、ふっと無意識の状態の中から「今からnice tripに出るからね!」と言われました。
ホスピスではこのような何か旅行に関することだとか、遠くへ行くだとかの話を患者さんの口からよく聞くという。ナースは「いい旅をしてね!」と返しました。
死期が近づくということは肉体と精神との分離が起こっていく段階と考えられるとホスピスのスタッフはよく口にします。
長年のトムの女友達が見舞いに来ていて、「じゃまた来るからね。愛しているよ、トム」と言うと、今まで昏睡と思われていた人が、ベットの中から手を差し伸べて彼女を抱き締め、頬にキスをしたのです。肉体の部分だけ考えたら考えられないことですが、人間というものは不思議なものです。 

◆チームの役割◆
看護士だけでなく、ソーシャルワーカーや作業療法士にも同行していますので、チームのことについてもいろいろ思うことがあります。日本ではチームというと看護士の「チーム」のことと思われがちですが、ホスピスでチームと言えば多職種間のグループを指します。一人一人の看護士やソーシャルワーカーが一個のプロフェッショナルとして患者を担当し、そしてその職種間での協力が行われます。それがチームと言えます。
協力は次のようにして行われます。例えば看護士が患者さんを訪ねます。そして患者さんとの対話を行い、必要なケアを行います。そこで行ったケアについて、また得た情報について次に訪問が予定されているソーシャルワーカーとか他の職種の人にボイスメール(留守番電話のようなもの)で伝えていきます。そのようにして、一つの職種だけで行うのではなく、みんなが協力して情報を積み上げ、患者さんの安楽と生き方とを支えるケアを一つのゴール目指して行っていきます。そのゴールとはホスピスの哲学を実践していくことと言えます。チームメンバーの頭の中にはそれぞれにホスピスの哲学が理解されているので(人により少しずつの違いはあれ、大きくみると一致している)このような協力もできるのだと思います。
そして週一度水曜日に全体のチームカンファレンスが行われ、その中ですべての患者さんについて話し合いが持たれます。その週に亡くなられた患者さんのメモリーも語られていきます。会議にはホスピスのすべてのスタッフが参加します。北部と南部の二つのチームがありますが、チームごとに行った後、合同で全体会が持たれます。このホスピスのチームで顕著に見られることはその職種間でそれぞれが対等であることです。
ホスピスでは患者とケアする側すなわち医療者が対等でなければならないと同じように、職員間でも平等であることが求められ指向されています。患者、医療者、職員間で平等であることはホスピスの基本的な哲学のひとつです。
ここで会議の様子が皆さんにもイメージしやすいように北部チームに参加した人数について書いてみます。

看護士            7名                      
ソーシャルワーカー      5名
チャプレン          1名
作業療法士          1名
医師             1名
セーフクロッシング      1名
ビリーブメントケア      1名
ボランティアコーディネーター 1名
ホームヘルスエイド      2名

時には職種間で意見の対立も起こりますが、患者にとってもっとも良いと思われる方法が皆で選択されていきます。

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先に書いたようにホスピスの最も基本的な理念は、

◎ 患者が中心であること。
◎ ホスピスに関わる人たちが完全に平等であること、すなわちケアする側とケアされる側、そしてケアチーム内の各職種間で平等であること。

これはホスピスの思想の根幹をなすものであって国が変わったから、土地が変わったから変わるというものではないと思います。日本では医師と看護士とソーシャルワーカーとチャプレンとがいれば、それでホスピスであるかのように思われがちですが、どの様な職種がホスピスに存在するか、それは国によって異なることであると思います。例えばある国には鍼灸師がいたり、あるいはヘルパーがいたりしてもいいわけです。
ただし、どの様な職種が参加していたとしても、その職種間が平等であるということが基本になります。少なくともホスピスはそれを指向するところです。もし、ホスピスを称しても、その中に厳然と階層制が存在していたり、患者が中心でなかったりするならば、それはホスピスの哲学とは逆行するものでありますし、形だけがあってもそれはホスピスとは少し違うのではないかと言うことができます。


◆ 緑の高さ◆
さてホスピスのことについて、また患者さんのことについては次回にまたもっと書きたいと思っていますが、最近いろいろ手を広げ過ぎたためか、少々疲れがたまってきたようです。
それで自主的に2、3日休暇を取りました。数日をかけてシアトルから西方にピュージェット湾をへだてて広がるオリンピック半島を車でドライブしました。


オリンピック半島は九州の半分以上もあるでしょうか、そこにはエゾマツやヘムロック(マツ科ツガ属の常緑針葉樹)の茂る広大な原生林や温帯雨林が広がっています。原生林の中を一本の道が走っています。
両側にそびえる木々の高さは50メートル(200フィート)以上もあるでしょうか。見上げると遥か彼方にこずえが風に揺れています。その中を走っていくと、何か深い森の底か海の底でも走っているような感覚がしてきました。
アメリカでも20~30年前までは簡単に木を切っていたそうですが、破壊してしまった森や林はたやすく戻らないことを多くの人が気づいたため、今ではみんなで森を守るようになったということです。しかし、木とはこんなに高いものだったのかと思いました。ときどき野生の鹿が車の前方をゆっくりと横切っていきます。最初は呆気にとられていましたが、しまいにはそれにも慣れてしまいました。
 夕方、半島の真ん中あたりにあるクイナルト湖に到着しました。そして夕暮れのひととき、湖にカヌーを浮かべました。山際には雲が低く降りていました。鏡のように凪いでいる水面を、ピチャ、という音をたてながらそっと櫓をこいでいると、その静けさの中で、時というものが失くなってしまった気がして、昔この湖でこうして遊んでいたインディアン(ネイティブ・アメリカン)たちは何を考えていただろうと思いました。ホスピス等で忙しいことの合間にこんな時間も必要であると思いました。


P.S.

当初、アメリカ滞在は6ヶ月の予定だったのですが、3,4ヶ月とやっていくうち、どうも今やっていることのすべてが中途半端に終わるような気がしてきました。福岡のオアシス編集局やQLネット、カウンセリング講座のみんなにも迷惑をかけるのですが、こんな風にアメリカに来れるのもそう幾度もある機会とは思えず、わがままとは知りつつ、皆に相談しながら1ヶ月半程予定を延長させてもらうことにしました。

帰りは9月くらいになりますが、ヨーロッパ回りでジェネーブ、ロンドン等により帰ってきます。