ホスピス旅日記’97 ② (第二回)

アメリカに来て早1ヵ月が過ぎました。今回は私の見たシアトルについて少し書いてみようと思います。

 

シアトルの街は大変美しい街だと思います。特に夜景の美しさにはいつも感動してしまいます。 この街は郊外もいれると人口300万人くらいの大都市なのに、周りはたっぷりとした自然に囲まれています。遠くに4千メートル級のレイニア・マウンテンを望み、ピュージェット湾には幾つもの島が浮かび、深く入江が入り込んでいて、また陸の至る所には湖ができています。

シアトルは1年中雨の多いところとして有名で、一帯に広がる森はたっぷりと水分を含んでいます。水と陸とが一体となっている、シアトルとはそんな感じのするところです。

 

 

 

ここに来て最初のうち、毎日バスを利用していました。そこでまず気付くのは障害者がバスを利用することが大変多いということです。

 

これまで福岡の「ワイガヤツアー」(福岡の他のボランティア団体のツアー)の報告等で、シアトルのバスについて、ある程度ご存じの方もあるかも知れませんが、シアトルのすべてのバスには障害者用のリフトと車椅子用のスペースが2席づつ付いています。

 

ある日、バスに乗っていると、車椅子に乗った人が2人乗り合わせました。またしばらく走っていると、次のバス停にもう一人の車椅子の人が待っています。結局スペースが無くて、運転手がその人に断って、バスは発車しましたが。私はそのとき考えてしまいました。
 

 1台の市内バスに3人の車椅子の人の需要があったということを。こんなことが日本で起こるだろうか?シアトルが特別障害者の多いところではない、また日本は障害者がいないという訳ではありません。同じような割合で障害者の方はいる筈です。ではどこにいるのでしょうか?

 

障害者は日本では家にいるんです。または施設にいるんです。なぜって、そこから出られないから。公共の交通機関が利用できないから、道路に段差があるから、駅や公共の建物にエレベーターがないから、また障害者の自立の問題もあって、外に出られないでいると思います。

 

シアトルではバスばかりではなく、街のすべての歩道(ほんとうにすべての歩道)に車椅子用のスロープが付いています。すべての駅にエレベーターが付いています。

        手前側が車道、歩道からのスロープ
        手前側が車道、歩道からのスロープ

 

車椅子の方ばかりでなく、目の不自由な方も白い杖を持ってバスを待っているのを良く見かけます。
 

バスは行き先がいろいろだし、バス停にはいわば○○番系統のバスが次々に来るわけですから、どれに乗っていいか分からないだろうなと不思議に思っていると、バスが杖を持っている人のところで止まりドアが開いて、運転手が大きな声で声をかけます。「○○番のバスですけど乗りますか?」と。

 

それを聞いて目の見えない人は、そのバスに乗り込んだり、「いいえ、ありがとう」と答えたりします。リフト付きのそろえているというばかりでなく、障害者のためのソフトとハードとが有効に働いていると思いました。

シアトルの街にはまた障害者ばかりではなくいろんな人が歩いています。

黒人もいれば、白人もいる、ネイティブ・アメリカン、アジア系の中国人や日本人、ベトナム人、髪を赤や青に染めた若者たち、年寄り(この前は福岡でいう天神みたいなところを歩行器を使って歩いている老人を見てびっくりしました。)金持ち、貧乏人、そしてホームレスの人たちもたくさんいます。

 

 

この街は物事に蓋などしないで、いつもじかに物事を見せられている、そしてどんな人もみんな一緒にごっちゃに生きているという感じがします。
 

アメリカという国は問題も多いけれど、みんなが一緒にそういう社会の問題に悩んでいるのかもしれない。あるいはみんな一緒にたたかっているのかも知れません。

 

ではまた。