へんろ一人旅①

プロローグ

この原稿は、携帯電話で四国から届ける、今の出来事

ずっと、昔。旅を始めた頃、今から 30年ばかり前・・・考えて見れば、私の人生は、旅の繰り返しだったような気がする。その年は、もう冬が始まっていた。私は関東から、中国地方を経て、九州地方の宮崎にいた。

 

このまま鹿児島から、フェリーに乗って、沖縄に行こうか。そうすれば、寒い冬はやって来ないし、暖かい沖縄にさとうきびのバイトでも すれば、と思っていた。しかし、待てよ。私はただ楽しい思いをするために、旅を始めた訳じゃない。

 

〝生きる訳〟を知りたくて、旅を始めたんじゃ、なかった のか。それは太宰治※の文庫本で、短編集を集めたもので、2ページから3ページくらいの短編から成り立っている(題名は忘れた)。そのひとつに四国のお遍 路さんのことを書いたものがあった。


「(遍路は)良き音(ね)の鈴を持ちて・・・。秋風と共に旅立ち、いずれは旅の土に埋められる…」私もそうやって歩きたいな、ずっーとそうやって旅をしたいな。四国は冬の寒さが、これからきびしくなるし・・・。しかし、結局は行かねばならぬ方に、行 くことになった。南から北へ方向を変え、四国へ向かった。ヒッチハイクで大分へ。別府からフェリーに。

 

四国の八十八ヶ所札所の一番札所に着いた。 それは香川県の鳴門にあった。昭和50年ごろのこと12月の始めくらいの頃だったろう。そこから歩き始めた。冬の寒さはことの他、強かった。全部二ヶ月 (いわゆる1400km)を歩いて一周まわった。途中、松山で持ち金が無くなったので、バイトを2ヶ月間だけやった。

 

そのころ、私は、53番目か 54番目の札所で、いい知れぬ出来事にであった。仏あるいは、または神に出会った・・・(私には、そういうものだったと言うしかない)。人生において初めての経験だった。私は疲れ果てて、寺にたどり着いた。

 

真っ暗な、本堂のところに、寝袋をのべて寝た。眠れなかった。「こんなことをして、なんになるのだ ろう。もういやだ」その日は、歩き続けて、眠る場所が見つからず50km以上も歩き通したあとだった。くたくたに疲れて、そして、涙が出てきた。

 

すると、まっ暗な中から、ふしぎな声と顔の輪郭とが見えた。《なんだ、そんなことでは、だめだな。・・・・・》繰り返し、繰り返し聞こえた。

 (オアシス No.153.くまさんアッシジを行く!最終回)このことがあってから四国のことは忘れなくなった。

 

ずっと前から、もう一度、この四国 を周りたいという願望があった。
そして脳出血を起こし、いつ死ぬかわからない。それなら行ける時に行こう。これは誰にとっても、同じこと。脳出血 であろうと、“今”がその時だと言える。30年、待っていたことになる。これは「お礼参り」とも言える。そして、私の人生を振り返って見よう。
明日の朝、門司港からフェリーに乗って四国へ旅に出よう。          

※ 太宰治 「 参唱同行二人」より

 

4月1日    

早く出て、門司港に着いた。そして フェリーに乗り、松山まで行った。なんだか懐かしい気がした。また、なんとなく、ふしぎな旅になりそうな気がした。


       一番札所 霊山寺
       一番札所 霊山寺

4月2日       

この旅はうきうきしてくるなあ。列車から見える、いろんな花が、菜の花や、桃や、桜が咲いてるし、自然が楽しみに歌っているようだ。

列車は一番札所の霊山 寺のある板東町に着き、しばらく歩いて、霊山寺にお参りして、その町の旅館に泊まった。

4月4日    

はじめから順番に第2番目、第3番 目、そして4番、5番と打っていった。

最初のうちは札所のあるお寺は、間隔は1kmとか2kmあった。それで 都合よく周れた。


4月5日  

きょうは朝から歩いて、午後4時こ ろには疲れてしまった。6番目、7番目、8番目、そしてベンチに座り、「疲れた!」と言った。きょうは、ちょっと歩き疲れたので、タクシーを呼ぶことにした。

 

(あまりタクシーは好きではないが)しばらく待って、車が来た。宿屋までとタクシーの運転手に言った。彼は私のお遍路姿を見て、「お客さんの足は、タ クシーで一週間かけて四国を周った方がもっといいよ!」と言った。私はタクシーからおり、宿屋の女の人が迎えてくれた。

 

「よくおいでになりましたね。疲れたでしょう」と何度も繰り返して言った。それは、私の様子が、塞いでいたのだろう。この人なら、悩みを打ち明けて見ても良さそうだな。それで、「タクシー の運転手は、こう言うんだけれど・・・」女の人は、こう答えた。

「自分のペースでやってゆくのよ、4kmなら4km、6kmなら6kmを、 ゆっくりとしたマイペースで」そうか、じゃ、いまのようでいいんだ。 少し元気が出たかな。

 

4月6日       

きょうは第9番目の切幡寺と第10 番目の法輪寺を歩いていた。その時、「お接待をしましょう」と軽自動車から、女の人が降りてきた。乗っていろいろ話してるうちに、「きょう、農作業の仕事 が早くおわったので、第11番目の藤井寺にも、車で乗せて行きましょう。 

でも第12番目の焼山寺は四国の寺の中でも、一番の難所で、ふつうの足で、歩いて も、6時間かかる険しい山なので、あした、また来て、もう一度、その山を越えるまでお接待をしましょう」と言ってくれた。


        焼山寺にて
        焼山寺にて

4月7日        

朝、女の人(Fさん)を待って、「さあ、出かけるぞ!」車に乗って、出かけた。
車はだんだん山の方へ、近づいて来た。景色は桜があちこちに咲き、次第に山は険しくなって来た。焼 山寺はもっとも奥の、切り立った山のうえにあった。まったく、こんな険しい山に千年前に、寺を造ったものだ。私は札を納め、たどたどしいお経をあげた。
それから、山を降り、家がぽつぽつと在らわれ、やっと地上に出るころ、ふと、車の窓から、おへんろさんの無料休憩所が見えた。きょうは、ここで寝ることにし ようか。車から降り、お礼をいい、Fさんに別れを言った。

 

4月8日       

休憩所の夜が明ける。目が覚めると ずいぶん寒かった。急いで荷物の準備をし(わたしはそう急いでできる訳でもないのだが・・)、しかし、今日はことのほか、足が運んだ。

朝から夕方4時くら いまで歩いて7.2km(私の足では、せいぜい一日歩いて、これまで4kmが限度)だった。最高だった。

 

4月10日      

杖がなくなってしまった。歩く途中、へいのある小川があった。このへいにもたれて川や景色を眺めていた。すると杖がポロッと落ちて、へいの間を抜けて川へ落ちた。そして、川下へゆっくり と流れて行った。私は杖がないと身体のバランスがとれない。どうしよう。見渡すとその辺は、2、3軒の商店が並んでるだけだった(と言うより、2、3軒も あった)。

 

まず、近くのうどん屋さんに入って要件を話した。「私は杖を川に流して、そして、じっと立っているのも大変なんです。何か代わりになるようなものはないですか?」しばらくすると、小さめの傘を出して来て、「これしかないから」と。私が持つには小さかった。

 

もう一軒、私は床屋のドアをノックし、同じように訪ねた。
おくさんが「それなら、富士山の登山用がありますけれど。それを持って行きなさい」私は「ありがとう、助かります 」そして、すたすたと(ゆっくり、ゆっくり)歩きだした。


4月11日      

夕方まで歩いて、第19番目の立江寺にお参りして、それから今日、泊まりの宿に行った。 宿屋の人とは、しばらく20番目のことや、なにや話しているうちに、「ここから鶴林寺まで20km近くもあるし(今まで、一日7.2kmである)、明日の 夕方、また歩いているところを迎えに行こう」そういうことになった。


         恩山寺にて
         恩山寺にて

4月12日       

今日は荷物を減らして持っていけるので(夕方どっちみち、ここの宿屋に帰ってくるのだし)、身軽にして、7時半ごろ出かけた。足が比較的進むので、「いいぞ」と思いながら歩き続けた。 昼、なにか食べようとして食堂に入った。

中には、おかみさんや、何人かの人がいた。私は障害があるのに、おへんろに来ているのを知って、ばあちゃんや旦那 さんやが、「それは、きっと治るよ。お大師さんが守ってくれるよ !」と、口々に言った。きょうは距離は8.7kmだった。また新記録だった。立江の宿屋の電話をして迎えを頼んだ。

 

4月13日         

朝早く、5時ごろ起き、食事を 取って出かけるのが7時すぎになる。そして出発だ。

道路のところを通って、山道に入る。すごい坂道が続いてる。それでもがんばって山の6合目に来た 時、突風がぴゅーっと吹き始め、急に恐くなり、ひきかえした。

 

4月14日        

きょうは3日ぶりに、山の1つが征 服できた。鶴林寺、20番札所だ。あるときは精一杯、一日中歩き通したし。あるときは、強い風に吹かれ、やむなく帰ったし、しかし、きょう、6合目まで車で送ってもらい、ここから歩き始め、鶴林寺にやがて着いた。とうとう3日目で、山の頂きが見えた。それから下り、この辺に宿はない。何kmも、これから歩かねばならない。そうやって、歩いたのは13km。時間は朝の6時から夜の6時まで。あ~あ、疲れた。

 

4月15日      

夕べ泊まった宿はロープウェイの上 り口にあった。次の21番の太龍寺はその宿の上にある。朝めしを済ますと、ロープウェイに乗って(はじめから足で登る方がもちろん良いのだが、今回はまだまだ足が悪いのでロープウェイを使うことにした)高いところまで来た。

杉やなんだかの大木が、(ほんとうにデカーイ)鬱蒼とした中に、本堂や五重塔や弘法堂など建物が立っている。弘法大師(空海)の若い頃の修行や山の上での断食など、目の前に、巨大なパノラマが浮かぶようだ(まるで仏陀やモーゼのよう に…)。そう考えながら 地上へ降りた。

 

4月16日       

きょうも歩いて、22番札所。ここ は久しぶりに 平野のお寺だ。ちょっとホっとする。さて、これで1回目のおへんろは終わりとし、九州にちょっと帰って見ることにする。4、5日 たって、また四国に戻る。