第四回



 

「どうしても親わ 先に いなく成ります こういって わ はくぢょうだと思われる方も いらっしゃるだろうと思いますが 私が死ぬ 前に 子供が先に死んでくれたら 自分わ この子の後を すぐにでも死んで行きたい など そんなことが いつも 先きに立ちます でも どうあがいても 子供より自分が先きに死んで行きます それを考えると 夜など どうして よいのやら ねむれない夜が有ります 老人の日がくるたび 心身障害の子供をも つ親として考えることわ 皆 同じでせう」(原文のまま)

 便せんの上で文字が震えていた。十数年前、私の新聞社に届いた差出人不明の手紙。  障害のある子供を抱えた年老いた母親が、わが子の行く末を思い悩み、切々と訴えている。 重い内容である。当時、編集長から「おまえに任す」と言われたが、新米記者の私にはどう扱っていいのか分からず、机の中にしまい込み、そのまま眠らせ続けてきた。  あれから十年以上たってしまった。まさか今になって、記憶の底からあの老母の手紙をよみがえらせることになるとは思いもしなかった。この数日間のうちに、あの手紙と同じ切ない思いの込められた言葉に出合ったのだ。それも二回も。

 数日前、興梠(こうろぎ)律子さんからもらった手紙にこんな一文があった。
「私たち親が先に死んだら、この子はどうなるのだろう。そう考えると死んでも死にきれない思いです」
  かわいらしいウサギのキャラクターが印刷された便せんの隅っこに「これが障害のある子供の親の本音。この問題が一番大きな悩みです」と書き添えられていた。
その二日後、こんな話を聞いた。
「わが子に先立たれたくない。けれども、私たちが死んだあと、子供があまり長く生きると不安です。だから、この子には私たちよりも一日だけ長く生きてほしい。一日だけだったら飲まず食わずでも過ごせるだろうから」
  茂木俊彦さん(東京都立大学教授、全国障害者問題研究会委員長)が、延岡市で開かれた「障害児の放課後生活を考える講演会」の中で、三十年前に障害児の親から聞いた言葉として紹介した。
数日間に二回も、障害のある子供の親たちの切ない思いの表われた言葉に接して私は、以前から抱いていた疑問が膨らんでくるのを覚えた。
いつの時代でも、障害があるというだけで親と子は不安を抱えて生きていかなくてはならないのだろうか。いつになったら安心して暮らせる地域になるのだろうか・・・。

興 梠さんは笑顔の素敵な明るいお母さんだ。延岡養護学校の小学部に入学したばかりの菜月ちゃんを抱っこしながら「喜んで学校に通 っています。ただ、毎朝『保育園にいこ』と言ってますけど」と、娘の顔を見て微笑む表情には、そんな切ない思いは見て取れない。しかし、脳性マヒの娘が小 学生になったことで、将来への不安が急に高まってきたという。
「もう、かわいい、というだけでは済まされない。何とか自分の身の回りの世話ができるようになり、生きていく基本を身につけてもらいたい。障害を持った子供たちは、たくさんの人たちに手助けしてもらわなければ生きていけないのです」
ただ、十数年前の手紙の主や三十年前の親と大きく異なる点がある。それは、興梠さんたち親が自分たちで何とかしようと動き始めたことだ。
母親たちが集まり「障害児の放課後生活を考える会」を結成し、今回の講演会を主催したのは、その第一歩だった。  この会の会長を務める興梠さんの手紙を紹介する。今の状況を綴りながら、何を目指しているのかがよく分かる。

◆興梠律子さんの手紙◆
「障害児の放課後生活を考える会」を発足するに当たり、昨年十二月に障害児の母親たちが集まり、さまざまな思いを語り合いました。 学校から帰ってきてからの子供は、ほとんどが母親と家の中で過ごしています。学校が休みになる第二・四土曜日は一日中つきっきりです。子供たちは、じっと していられない、大きな声を出す、泣きだす…などで連れて行ける場所も 限られてきます。仕事がしたくてもできる状態ではありません。
ほかの兄弟・姉妹や母親自身が病気になった時など安心して預けられる場所がないのは特に不安です。
夏休みや冬休みの長期休暇は親子二人きりで一日中過ごし、お互いにストレスがたまってしまいます。母親もイライラして大きな声で怒ってしまうこともあります。体が大きくなり、力も強くなり、行動が多くなると大変で、心身共に疲れてしまいます。
障害があっても、なくても、子供たちは集団の中で生活して、ケンカをしたり、遊んだりしながら育っていくものです。集団生活は、地域の中で生きていくために最も必要なことだと思います。
障害を持った子供たちは、いろいな形で介助が必要です。たくさんの人たちに手助けしてもらわなければ生きていけません。だれからも介助していただけるよう、小さなころから力をつけていかなければなりません。
だから、今から学童期の大切な時期に、集団の中でいろいろな力を身につけてもらいたい。学童保育はその療法の一つでもあります。子供や親のために、そんな場所づくりに頑張っていきたいと思っています。

 障害児の親たちは、自分が年老いて子供の介護を十分にできなくなった時、だれが子供の世話をしてくれるのだろうか、と不安にかられる。だから子供が小さいうちから地域の中で生きていける条件を整えておきたい、と考える。
講演会で茂木さんは「学校から帰ってきた障害児たちには、極端に言うと『地域生活がない』。友達と交わって一緒に活動する条件がない」と言った。その地域生活のための条件整備の一つが、興梠さんが手紙に書いた「学童保育」なのである。
この問題に突き当たる前、障害児の親たちはさまざまなプロセスを踏んでいる。
自分の子供に障害があることが分かった時、親たちは嘆き、悲しみ、怒り、そして戸惑い、焦る。しかし、ある時期が来ると子供の障害を受け入れ、専門の療育機関に通 うなどして子供と一緒に育とうと前向きに生き始める。同時に、さまざまな障害児の親たちと悩みを分かち合い、励まし合いながら少しずつたくましくなっていく。
そんな時期も乳幼児期でいったん終わる。今度は小学校だ。養護学校であれ、障害児学級であれ、学校に入ってまず直面 するのが放課後の過ごし方なのである。
大半は放課後に家で子供とお母さんが二人きり。母親は働きに行くことはできないし、ましてや自分の趣味に時間を割くことなど夢の夢。介護する親たちの健康問題も深刻だ。
茂木さんは「『ボランティア活動をしたい』『映画を見たい』『みんなとサークル活動をしてみたい』というのは人間として当たり前の願い。障害児の母親だか ら、そんなことを言うのはぜいたくだ、という時代は早く終わりにしなければならない。どうして障害児の母親は我慢しなければならないのか」と話す。
放課後の生活を親まかせにしないで、どうやって社会で支えていくかを私たちは真剣に考えなくてはならない、と思う。

 私は今この原稿を書きながら、本職である新聞記者としての仕事を同時進行させている。タイトルは「障害のある子供たちの放課後生活を考える」。四月十六日にあった講演会の内容をまとめた記事を連載中だ。
まだ途中だが、子供に障害があるというだけで切ない思いにさせないような地域づくりを進めていかなければならないと痛感している。
介護保険の導入によって急激に高齢者福祉がクローズアップされている。高齢化問題は、だれもがいずれは直面 することだから真剣に考える。ところが障害を持った人たち、その中でも特に障害児とその親の抱える問題は一部の人のことで、多くの人が自分とは関係ないこ とだと考えがちだ。
身近に障害児がいたり、出会わなければ、その大変さが理解できないというのは分かるのだが、私たちはもう少し障害のある子供や親たちに関心を持つ必要があ るかもしれない。そして、障害がある、なしに関わらず、だれもが住みやすく、いつまでも「ここで暮らしたい」という地域をつくるために、お互いの知恵を出 し合ったり、力を合わせていけば徐々にだが何かが変わっていくような気がする。
少なくとも、「この子を残しては死んでも死にきれない」「一日だけ長く…」といった切ない言葉を親たちが言わなくて済むような・・・。
延岡市にできた「障害児の放課後生活を考える会」は近く、市内を中心に障害児の生活実態調査を行うことにしています。その結果 をもとに、地域に合った障害児の学童保育のシステムや施設を考えていくそうです。参考になる事例や資料がありましたら、延岡こども発達支援センターさくら 園(℡0982・35・8535)まで連絡をお願いします。