第21回 日本ホスピス・在宅ケア研究会・長崎大会

ホスピスをすべての人に開かれたものに

2002年11年前に病気に倒れ(失語症)、その後も障がい者として「市民ホスピス・福岡」をやっていましたが、現在は、すべてを辞め、署名活動を(1年9ヶ月前)集中してやることにしました。

 

【我が国のホスピスは医療・施設としてのホスピス(緩和ケア病棟)であり、ガンやエイズの患者のみに対象が限られている】として、「本来のホスピスは人が人をもてなし支える哲学」という観点が抜けています。

私は、一個の【市民】ですが、市民、一人一人が自分で決めて、そして変えてゆかなけば、変わらないと思います。日本の場合には組織が目の前で変わっても、以前として古い社会構造は変わらないと思います。

 

東北にあった大地震もそれを支える社会が変わるし、医療・福祉も変わっていくと思います。

我々は「ホスピスをすべての人に開かれたものに!!」とやっていこうと思います。きっと、【市民の力】があれば変わると思います。

お知らせ

 

      

           


星塚敬愛園で井藤さんと新聞記者、坂本光三郎さん
星塚敬愛園で井藤さんと新聞記者、坂本光三郎さん
星塚敬愛園に東大総長の矢内原忠雄と井藤道子さん
星塚敬愛園に東大総長の矢内原忠雄と井藤道子さん
   アイルランドのアラン島にて
   アイルランドのアラン島にて

ホスピスをすべての人に開かれたものに!! 

私は署名活動を行います!

 

私の思い

私は若い頃、10年ほど日本や外国の旅を続け、日本に帰って看護士になろうと思いました。

学校と病院との仕事の両立の中で、日本の医療の中の看護に疑問を感じました。また、看護を勉強する中で《ホスピス》という考え方を知りました。

 

私は学生の時に文化祭で「終末期医療を考える」をテーマにシンポジウムを行ったことがあります。

人間の尊厳が守られていない医療・看護に矛盾を感じ、こういうテーマにしたのですが、特に老人病院でベッドに寝かされたままでほったらかしにされる老人たちがいる日本の医療をどうにかしなくてはならないと感じたものです。

 

現実とホスピスの理想とのギャップに悩みました。

学生時代から始めた「福岡・生と死を考える会」を創り、

その後「市民ホスピス・福岡」へと発展させ20年間、市民活動を行ってきました。

 

隈崎行輝プロフィール

私は、ホスピスの考え方は、人間が人間をあたたかく、もてなすという、人間同士が支え合う、そんな思想だと思いました。《ホスピス》は皆が幸せになるべき思想だと思いました。《ホスピス》は年齢、性別、人種、国籍、宗教などで差別をつけてはならないと思います。たとえ病気があろうとも、障害があろうとも、健康(元気)であろうとも、です。

 

しかし、現在の日本の基準では、ホスピスは病棟として捉えられ「がん」と「エイズ」の患者以外は入れないということになっています。これはホスピスの考え方とはちょっと違うのではないかと思うのです。

《ホスピス》はすべての人に開かれたものでなくてはならないと思います。

 

 


 

私は9年前、脳出血で倒れ、私自身も障害者になりました。そしてこう考えました。人間は今をおいて生きている時間はない。

ホスピスは年齢、性別、人種、国籍、宗教や病気の種類で差別をつけてはならないんだ。たとえ病気があろうとも、障害者であろうとも、健康(元気)であろうとも、それが《ホスピス》だよ!と。

 今回、それを多くの人に訴えるために全国を歩き、署名活動を呼び掛けことを決意しました。

 

    20111024

           

           福岡県宗像市 ホスピス活動 隈崎 行輝  

 

 

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